介護士として10年現場で経験した入居者との思い出を振り返る機会があったので、少しだけ書きました。名前は偽名を使わせていただきます。
当時介護士として1年目の私は、入居してきた麻子さんの担当になりました。麻子さんは、面倒見がよくて明るい性格なのですが、少し頑固なところもあり、当時まだ新米介護士だった私とよくぶつかっていました。身体の状態も脳梗塞の影響で身体がうまく動かず、会話にほとんど支障はないものの、手すりを持って立ち上がることはできるが、お世辞にも歩けるとは言えないレベルでした。
そんな麻子さんですが、裁縫が得意で、よくタオルを切って雑巾にしてくれたりしていました。器用に裁縫をされる麻子さんを見て、別の入居者がズボンの丈を調整してほしいと依頼してくることもありました。もちろん他の入居者の物は本人がお願いしたとしても施設や家族間のトラブルにもなる為、止めていただくように説明するのですが、経験の乏しい私はただただ、「トラブルになるからダメ。」というような言葉足らずな説明しかできずに、麻子さんも「うるさい!私はそんな下手くそじゃない!」とお互いに譲らず、喧嘩ばかりでした。と言っても仲が悪い訳ではなく、何かあれば麻子さんは私に「やっと出勤したー。さっき、面白いことがあったのに。」といつも私が出勤することを待ち遠しく思っていてくれて、私も何かあれば相談してしまう間柄でした。
介護士として3年目に入ったころ私は結婚することになり、麻子さんに「結婚することになりました。」と報告しました。麻子さんは目を見開いて急に泣き出し、「本当におめでとう。」と言ってくれました。週末には麻子さんの娘さんからも、「母から聞きましたよ~。おめでとう。母ずっと心配していたんですよ!」と笑いながら教えてくれました。
そして結婚と同時期に私はユニットを異動となり、麻子さんと関わる機会はほとんどなくなりました。
異動してしばらく経ち、麻子さんのいるユニットの職員から「麻子さんの認知症がすごく進んでいる。」と報告があり、麻子さんに会いに行きました。部屋に入るとベッドで横になってテレビを見ている麻子さんがこちらを向き、「やっと帰ってきた。」と満面の笑みで、枕元にあった赤ちゃんの人形を抱きかかえながら起きました。「やっと帰ってきた。私たちの子どもだよ。お父さん帰ってきたよ。」私には衝撃的でした。「麻子さん、僕だよ。」と言うと、「知ってるよ。○○さん(私)でしょ?私とあなたの2人の子だよ。」と嬉しそうに話してきました。あぁ、認知症なんだ。と感じたのと同時に、今までの麻子さんとの思い出がよみがえり、もう会いたくない。そう思いました。
階が違うこともあり、その後は麻子さんと会うこともなかったのですが、ある日の夜、遅番の帰りにタイムカードを打刻しに事務所へ立ち寄った時、事務所にいた相談員から「麻子さんが、ご機嫌斜めで大変らしいから会いに行ってあげたら?仲良かったでしょ?」と言われました。面倒くさいと思いながらも、久しぶりに会いに行こうかなと思い、その時は「明日会いに行って来ます。」と返事をして、その日は帰りました。会いに行くのはいいけど、また認知症が進んでて、会ってもわかるかな?また子どもがと言われたらどうしよう。と色々なことを考えていました。
翌日、遅番で出勤して事務所に寄ったら、昨日の相談員から「麻子さん、夜中にお部屋の椅子に座って亡くなってた。」と報告を受けました。慌てて麻子さんの部屋に行きましたが、もちろん麻子さんがいるわけでもなく、部屋はそのままでベッドの枕元には赤ちゃんの人形が大切そうに置かれていました。
介護士として初めて入社したとき、上司から3年間は戦力として考えていない。色々と勉強しろと言われていました。当時の自分は、酷いこと言う人だな程度にしか思っておらず、3年の月日が経ち、現場での経験や認知症の研修など様々なことを体感し、言葉の真意が少しだけ見えてきたような気がしました。まだ3年間経っていないなかで起こった、麻子さんとの出会いと変化、介護士としてたくさんの研修や経験を経て振り返る麻子さんとの思い出。当時とは全く違う感情が芽生え、今の自分だったら麻子さんとどのような関わりをしていただろう。と、ふと思います。